「競争原理」という人類史最大の嘘

      【目次】
 ようこそ               
 人類の歩む「理性」という道      
「閉じた頭」と「開けた頭」       
 有限性から無限性へ
 葛藤の正体
 確率の嘘
 自然界は弱肉強食か
 競争原理という人類史最大の嘘
 新しい世界

 「競争」という自然の摂理とも捉えられている人類の歴史に深く根差した「原理」が、実はこの世界の根本的な「原理」ではなく、私たちが後天的に採用した「概念」に過ぎないことを明らかにしようと試みます。
 そして人類を数千年に渡って支配し、文明の発展を急き立ててきた「競争」という呪縛から解き放って、新しい時代に相応しい在り方を考えてみようという大胆な挑戦を、本書の使命としています。

Which path will you take?

人類は文明の転換をできるのか?
または自滅の道を突き進むのか?

上次元スキャナー理論

 2次元の平面世界で生きる人は、横に行ったり縦に行ったりしながら人生を歩んでいきます。その一瞬一瞬は宇宙に保存されるので、2次元人が移動する次の瞬間には、平面世界を縦方向に少しだけずらして次の瞬間の平面世界が配置されていきます。こうして2次元人は、自分では絶対に知覚することのできない「縦」という空間軸を、人生を通しておぼろげながら体感します。
 同じように私たちの住む3次元世界でも、この瞬間は宇宙に保存されるので、次の瞬間には、4次元空間軸にそって少しずらした3次元世界が配置されます。私たちはミライがどの方向か指し示すことができないのにもかかわらず、その人生を通して、おぼろげながら4次元空間軸を体感することができるのです。

Upper Dimension Scanner Theory

「死ぬ勉強」 新著発売

 現代の科学では人の「意識」というものが、脳活動の結果として生じるものだと考えられています。しかし臨死体験が示す事実は、その多くが心肺停止のなか意識が失われた状態で起こる体験です。血流が途絶えることによって脳への酸素やブドウ糖の供給が断たれて、膜電位の維持が失われニューロンの機能喪失となり、現代医学が脳機能停止と呼ぶ状態で体験されたものです。
 臨死体験を長年に渡って研究しているバージニア大学名誉教授で精神科医のブルース・グレイソン⽒は、臨死体験者について「報告は詳細で、彼らは典型的には死後の世界が現実よりも現実的であると主張している」と語っています。その主張を素直に考えれば、彼らの体験した世界は現実世界よりも情報量が多い、ということになります。
 臨死体験は幻覚か夢だという見方がありますが、現実世界よりも情報量の多い幻覚や夢を個人の脳が作りだしているという主張になるので、その論理は破綻しているのが分かります。


 人生の経験を積んだあなたは、何事にも準備が大切だと知っています。深い山にわけいる登山や、船に乗って大海へ向かう旅は、人間社会に暮らす私たちにとって、ある意味で「未知への冒険」です。
 例えばそれが冬山であるなら、寒さへの防寒対策や登山ルートの下調べ、山小屋の場所や向かう山の注意点など、できる限りの情報を集めて準備をするはずです。なぜなら私たちは、冬の山に登るということが、とても厳しい冒険であると知っているからです。冬山へ下調べもせずに軽装で向かえば、遭難は必至であると分かります。
 ではなぜ私たちは、冬山よりもさらに謎に満ちた、真の意味で「未知への冒険」といえる「死」に対して、なんの準備も下調べもしないのでしょうか。死という現象や、死んだ後の状態がよく分からないから、気になるけれど考えないようにして、日々の雑多な出来事にかまけてしまうのかもしれません。

 臨死体験者の多くは死後の世界を垣間見ることで、死ぬことは怖いものでないと感じ、死後にも自分の意識が存続することを確信するといいます。死を忌み嫌って遠ざけておけば、不吉なものを避けられるわけではありません。死とは何かを知って、しっかり向き合うことによって、はじめて道が開けます。

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五つの小さなアンソロジー

かつて別れた道が、ふたたび交わることってあるのでしょうか?

赤く色づいたカエデの落ち葉がつくるふかふかの道を、行きなれたバニュー墓地への小道を、きょうは誰と行き、誰と出会うのでしょうか。

そしてかつての秘密が、明日へと導く光のように変わるなんて。
 [ カエデの葉束 ] 他、4作品。

五つの小さな物語のアンソロジー。

クライ ツライ ノライヌ

私は頭をソファに預け グラスを持ったまま項垂れている
部屋の壁を染めた 死ぬ間際の太陽と
その影がつくる煩わしいほどの陰影
虚ろな目で酒を煽ると 私はノートをとって書きなぐる

外からは 子供たちの声が聞こえ いつのまにか過ぎ去っている
気がつけば 手元も見えないほどに薄暗く
私は書きなぐった 詩の一枚を破って丸め
闇の深淵へと投げ捨てた

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オバチャラパー

スケボーしながらラップをつくる、三人の男の子たち。
でも彼らのカラダの奥から、魂の滲んだ言葉がでてこない。
平和な日常のつづく日本の生活に、渇望する何かのない生活に、惰性と、なかば諦めの日々。

そんな三人が、虐げられ、心の奥底からの言葉に溢れながら、それを堰き止めて生きてきたオバちゃんと出会う。
オバちゃんの魂からの言葉の羅列が、三人のサウンドに乗ったとき!
2006年 3月 作品。

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