確率の嘘
現代社会では確率を多用しています。確率が有効なのは、集団や複数回の事象を扱うときです。複数の者や事を、確率的な傾向として扱うときに有効です。そのような確率の性質から社会を運営するなかで、集団を意図する方向へ確率的に誘導するなど、現代社会では使い勝手がいいということなのでしょう。
しかしどんな存在も、個としての生をいきています。たった一人の人生において、確率は無効となります。どんなに小さな確率のことでも、人生に起こったことは100%の確率で起こっているし、確実に起こるだろうという大きな確率のことも、人生に起きなければ0%でしかありません。
私が強調したいのは、集団を扱う場合の確率という考えを、まったく無検討のまま個人の人生に当てはめてしまうことは、「確率」という制限の「項目」を採用することとなり、その人の人生が確率的に均されて「奇跡」から縁遠くなるだろうということです。
法則の階層として人の「意識」が「物質世界」よりも上にあるという認識を前提とするなら、この現実世界をより柔軟に捉えた生き方ができるようになるでしょう。上位の法則である意識の「焦点」が反映したものとしての「現実世界」であるなら、後天的に取り入れた制限の「項目」を一つひとつ解除して、より自由にこの世界を歩いてみようか、という気持ちが起こるかもしれません。
「おまえには無理」、「現実は厳しいんだよ」、「仕事は辛くて当りまえ」、「どうせ失敗するから止めとけ」などなど、自分が自らに課した制限の「項目」は何のためだったのでしょう。現実世界を無難に、安全に、失敗確率を最小化して生きていく。でも、確率は個人の人生では無効です。無難で安全な人生は、あるはずの奇跡を遠ざけてしまう生き方でもあります。
自分の置かれた現在の状況すべてを受け入れて「いま」を生きるとき、必要なものや必要な知識が「調和の作用によって導かれる」という現象が起こります。普段、私たちは「調和による導き」が起こっても、ただの偶然だろうと素通りしてしまいます。よくて「ラッキー」、「ついてたな」くらいで終わりですね。
この不思議な現象をあなたの人生で体験するとき、一つひとつの小さな「導き」も見逃すことなく確認して、小さな奇跡だと噛みしめて実感できれば、制限なく「いま」を生きることが、世界と調和した唯一の生き方なのだと確信を深めていくことになります。
このリアル世界から「競争」を無くそうという実現不可能に思えるこの道も、競争は人々を不幸にしているとあなたが考えるなら、気にせず進みましょう。たった一人でも本書の考えを採用して、自らの生活から「競争」を取り除く人が現れたなら、起こり得ないような奇跡が起こったということです。
そしてあなたが競争から解き放たれた安らぎのなかで生きる喜びの輝きを放つとき、あなたの生きる姿が道しるべとなって、きっと周りの人も何かを感じるはずです。